韓国でリグマが流行っているらしいが
Yngwie J. Malmsteen - Rising Force (Live in Leningrad, 1989) HQ
Rising Force
速弾きという一言では片づけられないイングヴェイ・マルムスティーンです
クラシックからの影響を感じ、
スローな曲にも味を感じるギタリストで、凄く好きです
破天荒な行動からの自爆が無くなるといいのですが
イングヴェイ・マルムスティーンまたはイングヴェイ・ヨハン・マルムスティーン(Yngwie Malmsteen、Yngwie Johan Malmsteen、本名:Lars Johan Yngve Lannerbäck、 - )は、の、、、。「インギー」の愛称で親しまれている(ただ、本人はこの愛称をあまり好く思っていないとされる)。
ロック・ギターにの要素を盛り込み、驚異的なでギター奏法に大革命をもたらした。日本ではの「神」に対して「王者」と呼ばれる。
、4人兄弟の末弟としてにて出生する。生まれて間もなく両親が離婚し、画家の母に育てられる。10歳までは軍人である父方の「Lannerbäck」姓を名乗っていた(「Malmsteen」は母方の姓の英語読み)。
5歳の誕生日にはプレゼントとしてを、翌年の誕生日にはを母からもらうが、どちらも興味がなく、やっても長続きしなかったという。
、世界的なギタリスト、が死去した。TVで彼の特集番組を見て、ギターに興味を持ち練習を始める。また、姉からのを貰い、ここでもまた大きな影響を受け、ギターのコピーをし始める。彼が音楽から影響を受けたのには、姉も関係していたようである。この頃からクラシックも聴き始め、ヴァイオリンの楽譜をギターで弾くことにも挑戦していた。
少年時代は英語と美術の成績はすこぶる良かったものの、甘やかされて育ったため粗暴な少年で不登校気味であった。母親は学校に行かずに家でギターの練習をする生活を許したので、自宅でたっぷりとギターの練習をした。やがて学校の廊下をバイクで走るような問題児になり15歳のときに学校を退学、ギター修理店でリュート製作をしていた。しかし姉のロロ・レナーバックへのインタビューによると仕事はしておらず、いつも自宅地下の練習場でギターを弾いており、食事は祖母に頼っていた。
、イングヴェイのデモテープを聴いたのマイク・ヴァーニーの誘いでロサンゼルスへ渡る。地元のメタルバンド「()」(後にを結成するロン・キールが在籍)に加入。同年これを脱退し、率いる「(Alcatrazz)」に加入し名声を得る。
、自らのバンド「ライジング・フォース」を結成。ソロデビューアルバム『』をリリース。
、を運転中、木に激突するという大事故を起こす。8日間にわたる意識不明の重体で、右手に後遺症による麻痺も煩いリハビリで何とか克服するが、細かな手癖や後のギタープレイ自体にも支障を抱えることになる。
、4thアルバム『』をリリース。同年、母リグマーが死去。
、Rising Force解散。以降は自身の名で活動をしていく。
、母に続き、兄ビヨンが鉄道事故により他界。
、同郷の歌手であると結婚。1990年発売のエリカのアルバム『』に参加するなど良好な関係ではあったが、1992年に離婚。
、当時の婚約者、アンバーの母により「自分と娘は(イングヴェイに)暴力を受け監禁されている」と通報され、一度は逮捕されるが、誤認と分かり釈放される。アンバーの母親は結婚に反対していた。その後アンバーと再婚も、当時のメンバー、との不倫疑惑(真偽は不明、イングヴェイの一方的な思い込みによる誤解説など諸説ある)に激怒し、1997年離婚。
、現在のマネージャーである3
度目の結婚相手・エイプリル夫人と間に長男のアントニオが誕生。翌年、息子と共にBURRN!誌11月号の表紙を飾る。
、自らのレコードレーベル「ライジングフォースレコード」設立。
、自伝本を出版。で来日し急遽大トリを務める。
2018年現在、一時期イングヴェイ個人のみでライヴ活動をしていた事もあったが、再び現レギュラー・メンバーを従えツアーを行っている。
「Rising Force / Yngwie J. Malmsteen」